回し車の中の人生
昨日の病気への準備の話に近いことを昔考えた。
おかしいのではないか、と。
というのは、昔は洗濯機も無かった。
隣の家が洗濯機を買い、続いてテレビも買った。
おっちゃんは、何もなかった頃は優しいおっちゃんだった。
しかし、当時は高級だった家電が揃って来るほどに、怒りっぽくなっていった。
そして帰宅するのもどんどん遅くなり、休日も無くなっていった。
当時は、よく働くおっちゃん、と近所でも評判だった。
もちろん、私も子供ながらにそうだと思っていた。
と、洗脳されていったのだ。
きっと、ストレスを自分で作り出し、それを解消するために何かをし、またストレスを溜める。
その循環だ。
まるで病人予備軍だ。
そうなると、家電メーカーと医師界や薬業界、そして保険業界の陰謀だろうと思ってしまう。
家電の普及とともに、家事は楽になっていったのだろう。
が、仕事量が増えていっている。
10代の頃は気づかなかったが、ドラムを職業とするようになり、気付いたのが「生き方が間違っている」ことだ。
ドラムの練習を家でもやりたいから、一部屋別にあるマンションを選ぶ。
その部屋を何とか防音対策をし、練習できる部屋にした。
しかし、一部屋増えるということは家賃が上がる。
その家賃を払う為に仕事量を増やす。
そうすると、練習部屋で練習をする時間が無い。
その矛盾に気付いた。
一つの視点で見ていると、確かにドラムの練習をしたいから部屋を増やす。
その為には収入が増えなければならない。
だから増やす。
その経路では満足している。
しかし、練習は出来ない。
よく働く自分だが、一体それは何だ?となったものだ。
まるでリスが回し車の中で走っているような人生なのではと思った。