分かる人と分からない人の違いは
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相手に対してきちんと向き合うと
「声を届けようとしても、何か置物に話しかけている感じがする。さらに聞いている、受け取っているというフリだけはしっかりされる。自分自身を見ているようでもあり、今までの人生で自分が真剣に向き合おうとしてくれた人達は、こんな気持だったかと思うと、申し訳ない気持ちになった。」と分かる。
この「きちんと向き合う」という意志があれば、こういったことを体感として分かっていくのだ。
そのことが自分を見直すヒントになる。
で、分かってしまうと、それが日常だと他の人の「フリをしているだけ」という仮面を透して見えるのだ。
しかし、これが見えない人は沢山いる。
それは、自分のやること、やろうとしている事にしか注意を向けられない人達だ。
残念ながらこういった人達には見えない。
それは、役者でもダンサーでも同じだ。
「受け取っているというフリだけはしっかりされている」それが日常だ。
観客も同じだ。
それを分かりだすと、日常の曖昧さが良く分かる。
自分の周りにいる人の曖昧さがよく見える様になるのだ。
だからどうということではない。
この事が自分にとって大事なことだと直感出来るかどうか、自分はどうしたいか、それだけだ。
「これはお遊戯か」と思うような舞台や、映画を見る。
しかし、それはそれで「良かった」という人が沢山いるので、それで良いのだ。…ろう。
それほど見えない人が沢山いるということだ。
先日の「美味しい」の見分けがつかない人と共通するのだ。
ただ、私は冒頭に書いているような、「分かる人」が増えることを望んでいるだけだ。
「関係」ということの、本当の素晴らしさを実感、あるいは、体現できる人が増えたら、どれほど住みやすい世の中になるか計り知れないからだ。