食べる人が見える

先日、毎年この時期に食べるシュトレーンが届いた。
薫々堂の作るシュトレーンは、頗る「美味しい」。
この美味しいとは何なのか。
「美味しいは、美味しいだろう」と理屈を言うな、なのだが、そこに一つの壁があるのだ。
「美味しい」を作れるのは、そこに「食べる人」が確かにいるからだ。
言葉にすれば当たり前の事だし、作り手にとっても当たり前のことだ。
しかし、本当に当たり前なのかだ。
マシーンでいれるコーヒーと、人の手でいれるコーヒーの違いだ。
もちろん、人の手でいれても、これならマシーンの方がましだ、というものもある。
同じ様に食べるものには全てある。
というより、商品には全てある。
音楽にも有る。
当然、人との関係にも有る。
レシピも全ての工程が同じでも、作り手によって味が異なる。
その味が異なる根本原因が、対象のものを持つのか持たないのかだ。
それを選り分けられない人は多い。
選り分けるということを知らない人が多い。
もちろん、選り分ける事が大事なのではない。
生身の人間であれば、違和感を感じてしまうものなのだ。
判断ではなく違和感だ。

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