人の役に立てていた

昨日嬉しいメールが届いていた。
10年前に初めて、しかもたった1日だけ東京でワークショップを受講してくれた起業家からだった。
「10年生きていたら10年後にまた参加しようと、心に決めておりました」と書かれてあった。
そして、来年が丁度10年なので、沖縄のワークショップに参加したいと言ってくれている。
「あの人の顔を見なくなったな」と色々な状況で思うことがあるが、このメールの主のような場合もあるのを知ると、「めげずに頑張ろう」と勇気づけられる。
私は、こういうケースが好きだ。
誰かの縁の下の支えになれれば、それが一番嬉しい。
そして、こういったお話を聞くと、私の役目は終わったとも思う。
つまり、誰かの役に具体的に立つ事ができたのだから、それで「生きている」という事での役目は果たせたからだ。
その意味で、「何時死んでも良い」だ。
ただ、折角生きているのだから、もっと多くの人の、となっているだけだ。
この縁の下での役目が好きだ、ということに気付いたのは、ドラムを職業としていた時代だ。
例えば、ピアノ、例えばベース、あるいは歌手。
それぞれがソロを取るシーンが有る。
その時に、如何にすればそのソリストが際立つように出来るか、それを考えるのが、それを行うのが好きだった。
また、曲を立体的に聴かせるには、どんなドラミングが良いのか、音楽的に深くするにはどうするか。
そんなことを常に考えていたのだ。
そういったところから、私自身が表に立つ人間ではなく、サイドメンなのだろう、あるいは、縁の下の支えなのだろうと気付いていたのだ。

Follow me!