尊敬しあえるこころ

家を空けるとろくなことはない。
「何これ!」
妻が叫んだ。
出てみると軒下にスズメバチの巣。
1ヶ月程で、この大きさの巣を作ってしまっていた。
さて、どう料理するか。
中性洗剤か煙か殺虫剤か。
「明鏡塾」も4期、そして半ばのセミナーになった。
先日の懇親会で、一人のベテラン施術師が「彼の言葉は本当に丁寧ですね、そんな人に出会った事がありません。素晴らしい若者ですね」と、理学療法士の若者を素直に褒めた。
倍ほど年齢が違うのだが、若者の素晴らしさを認めるベテラン。
また、それよりも若い理学療法士は、丁寧な言葉の主を目標としているという。
その彼も、驚くほど感性が良い。
そういった、非常に充実した仲間達が「明鏡塾」だ。
人はそれぞれに異なる。
しかし、重要なのはその異なる個人が、個人として確たるものを獲得しているのか、獲得しようとしているのかだ。
単純に「個人は異なる」というだけでは、全く価値は無い。
異なるという個性が際立ってなければ意味はない。
つまり、それは自分個人としての問題を見つけ出すということである。
そういった個人が繋がり合っていくと、必ずその世界は大きく変化する。
もちろん、それは何時の世も同じことだ。
しかし、今までは例えば、企業の誰、学校の誰、チームの誰、国家の誰という、ある意味でのレッテルが最初に来ていた時代だ。
つまり、個人はレッテルに埋没していたのだ。
もちろん、その核となるのは経済ではない。
冒頭の話のように、お互いを尊敬しあえる「こころ」である。

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