凍てつく熊野
約1ヶ月半ぶりの熊野だ。
寒い。
冷たい。
おまけに水を運んでくれるパイプが外れて、水が道路に流れ出していた。
このまま放っておくと、明日の朝は道路も水パイプも氷ってしまう。
熊野の最初の仕事はこれだ。
それが済むと風呂場の天井を低くする板張り。
寒さ対策に帰ったようなものだ。
身体が動き出すのと「同時」に拳を出す。
突きの基本中の基本だ。
「同時」が難しい。
完全に「同時」だ。
身体が動き出す瞬間を捉えられなければ、同時に拳を出せない。
もちろん、拳を出す瞬間も同様に捉えられなければいけない。
そして、完全に注意を二カ所に向ける。
もちろん、身体の動き出しと、拳の動き出しだ。
愚息は小学1年生から4年生まで、毎日この稽古をかかしたことが無い。
それさえ身に付けば、何かの時、最大の威力を持つ突きを出せるからだ。
一番大事なことは、何も分からない時代に身体に染み込ませておくのが一番だ。
大人になってからの、この地味な稽古は難しい。
注意も散漫だからだ。
大方の人は「同時ですね」と単純に取り組む。
それで同時になるのなら、これほど楽なことは無い。
まず、二カ所に注意を向ける事が難しい。
しかし、身体操作は難しいということを知らない人にとっては、つまり、厳密な身体操作を経験していない人には、それすら分からないのだ。
だから、無邪気に「同時にですね」となる。
また、訳の分からない人は「同時になればどうなるのですか」と質問する。
「同時に出来るようになれば分かるよ」と答える。
その入口にすら入っていないのに、どうして、その先の事を質問するのだろうか。
その先を知れば、自分がそれに取り組む動機が強固になるとでも思っているのだろうか。
質問している時点で、それは無い。
自分が抱える問題にする、という姿勢がないからだ。
言われたことをやる、分からなければ聞く、聞いても分からなければ止める、そのパターンで生きているからだ。