体感覚を得る

何年も教室に通ってきてくれているダンスの先生。
昨日の「胴体のねじれ」は、初めての感覚だと言っていた。
「ねじれ」は、体感覚を呼び覚ます一つだから、日野武道研究所では最も基本的なエクササイズだ。
だから、2005年から始めたワークショップ時代から、口を酸っぱくしてその事を説いている。
しかし、どう振り返っても、当時は誰一人としてその事を理解していなかっただろうと思う。
もちろん、今もだが。
そのダンスの先生も「きっと、誰も分かっていないと思う」と言っていた。
身体深部の感覚だし、どうしても動きに目がいってしまうというクセが、その理解を妨げているからだ。
この辺りに差が生まれる。
何時もこのブログに登場する、Forsythecompanyにいたmartheは、最初からその感覚を目指していた。
だから「私は確かなものを得た」と私に感動を伝えてくれた。
Marthe22歳だった。
なるほど、その通り彼女のねじれへのアプローチは、自分の身体に真摯にむきあっていた。
でないと、その感覚を得ることが出来ないからだ。
その感覚は、動きの質を完全に変える。
それを彼女は見抜いていたのだ。
「感覚を得る」ということが目的だから、見せかけの動きが「出来た・出来ない」ではない。
しかし出来なければその感覚を得ることが出来ないのだ。
さて、どこに視点を定めるかだ。
こういったところも、「稽古」ということの稽古だ。
自分の視点の定め方、そして組み合わせ方、それらをどれだけ自分の力で考え出せるかだ。
それが、自分を成長させていく能力開発なのだ。
自分自身は、絶対に外部の情報で成長するのではない。
外部からの情報は、現状の自分に足し算をしたことにしかならない。
足し算をする自分自身をいかに成長させるかが、本当の意味での成長であり能力開発なのだから。

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