感覚は衰えない

一つのことを、ひたすら繰り返しているから、そして、そのひたすらの中に「これならどうだろう」という工夫も入るから、何かを発見するし、全く異なることに気付くこともある。
出来るまで繰り返す、あるいは取り組むというのは、ただ単純に、取り組んでいることが「出来る」あるいは「出来ない」というものではないのだ。
人はロボットではなく、人だからだ。
ひたすら繰り返す稽古、いわゆる反復練習を進歩的な人は否定する。
意味のない繰り返し、ロボット的繰り返しは確かに無意味だ。
しかし、ロボット的繰り返しが必要なこともあるのだ。
それは、その繰り返していることではなく、全く異なるものを引き出すからだ。
「人」はロボットではない。
感覚を身に付けるには繰り返ししかない。
しかし、その感覚は一度身につけると、後は進化しか無いのだ。
ここが目に見える運動や形とは、全く違うところだ。
衰えるということは、多分無いだろう。
この多分というのは、私がどんどん年を取らなければ検証のしようが無いからだ。
出版記念トークライブショー11月12日(土)午後2時~4時
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東京ワークショップ 11月21日‐24日
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98回武禅のレポートをアップしました。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html

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