思い出の時間が

先日、久しぶりに義弟に会った。
彼は映画を徹底的に探求している。
といっても、根源にある「美とはなにか」「美意識とは何か」だ。
そこから探り出し「情動が意識を左右する」というところまで、こぎつけたという。
久しぶりに心が躍った。
義弟の娘もおり「お前のお父ちゃんは凄いんやで」と、義弟からのプレゼントの話をした。
娘は「リスペクトせなあかんの」と笑っていた。
その時、話は次に進んだから娘に言いそびれた事がある。
「お父ちゃんをリスペクトできるようになるには、お父ちゃんを超えなかったら、お父ちゃんの凄さは見えないよ」と。
道場を建てようとして、熊野に来た。
準備が整うまでの半年程、義弟も一緒に暮らした。
よく書いているように、毎晩朝方まで、芸術や武道での相当深い話題を話し込んだ。
その貯金が、今の私を作っているのだ。
義弟は、「いやそうではなくて、あの時の一言一言は真剣勝負だった。それはな、と話し出すことで、瞬時に考えて話していた」と娘に説明をした。
そうなのだ。
一言一言が真剣勝負だった。
密度の濃い時間というのは、そんな時間の事であって、それ以外には無い。
真剣勝負だったからこそ、その一言一言が30年経った今でも、私の心にあり、その言葉から実際化するにはを、考えているのだ。
つまり、義弟の一言を理解するには、30年かかっているということだ。
もちろん、そうすることで生命の樹ではないが、枝分かれした事で何かを発見したり、何かを発明したりしている。
義弟は私と話をすることで、今までは他人と会話が出来ていたと思っていたけど、それは壁にボールを投げて跳ね返りを自分で受けていたようなものだと気づいた、と言ってくれた事がある。
義弟からの言葉は、私にとって未知の言葉だらけだった。
だから、判断も理解もせずに、ひたすら聴き続けたのだ。
だから、そっくりそのまま、その時間が残っているのだ。
それが、現在の「聴く」に繋がっているのだ。
久しぶりの時間は、また私の何かを動かしてくれた。
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98回武禅のレポートをアップしました。

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