ためらい、気後れ
昨日、「明鏡塾」後の飲み会で、レピーターの鍼灸学校の先生が「実は10年前から知っていたのですが、気後れして来れなかったのです」というような話をしていた。
私がドラマーになって2.3年した頃、ドラム仲間から著名なドラマーを紹介するという提案を受けた。
現役バリバリで、フルバンドもコンボジャズも、NEWジャズもこなす、オールラウンダーだ。
その提案を歓んだが、考えさせて欲しいと一呼吸置くことにした。
間違いなく気後れしたのだ。
誰でも気後れなり、何らかの理由でそのタイミングで行けなかったことがあったり、出会えなかったりすることがあるのでは無いかと思う。
それは、本当の意味で、自分にとってはその時期ではなかったのだろう。
と私は考える。
自分の流れではなかったのだろうと解釈するということだ。
もちろん、そうでは無いのかもしれない。
しかし、人との出会い、仕事との出会い他、様々な出会いが人生には訪れるが、出会える奇跡は、そう安々と訪れないと考える。
もちろん、これは「出会い」というものに対して、どんな考え方を持っているのかによるものだが。
「もっと早い時期に出会っていれば」という話も聞く。
しかし、自分の事で考えると、もっと早い時期に会っていたとしたら、一体何を話せて、あるいは、何を体験できたのか、きっと、現在のレベルの深い話は出来ていないだろうから、間違いなく上滑りにすれなっていただろうと思う。
私は、そういった様々な出会いの時、「本当に出会えているのか」と自問自答することにしいている。
もちろん、その時にその答えは無い。
それは数ヶ月後、あるいは数年後にしか分からない。
しかし、こういった「出会い」という事を考えた時、気後れではなく、その逆の背伸びをすることもある。
実力から言えば、出会える筈のない仕事や人と、無理やり出会うことだ。
その事を思い出すと、躊躇していないのだ。
一瞬のためらいや気後れがない、そんな時、その出会いは必ず上手く行っているのだ。
それを考えると、やはり、「気後れや、ためらい」というのは、その時期ではないという警鐘なのだと、私は捉える。
先程の、ドラマーの紹介の話の続きは、紹介される前にその人の演奏を、改めて直接聴きに行くことにしたのだ。
大阪・梅田にあるジャズ・バーでの演奏の日、そこへ出かけて行った。
店の前に来ると、強烈な音が溢れていた。
その音を聴き、店に入らずにふと立ち止まった。
その時、「音は聴こえる」という事に気付いた。
つまり、そのドラマーが何を叩いているのかは、聴けば分かると気付いたのだ。
そして店に入った。
目指すドラマーは目の前で演奏していた。
「そうか見たら、どう叩いているのを分かる」と気づいたのだ。
何とも当たり前の事なのだが、その気付きが「一人で学べる」ということを再確認させたのだ。
一瞬のためらい、気後れが間違っているのではない。
どんな土産があるかもしれないし、その時期では無いのかもしれないからだ。
但し、何のためらいもない場合は、そちらを優先させる事が大事だ。
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98回武禅のレポートをアップしました。
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