説明の価値は

意味は自分の力で考えろ。
そこで、出てきた答えなり明確になったことが、その時点での自分自身の実力だということだ。
当然、思考が深くなると、その意味は変わっていく。
極論を言えば、当初の意味とはかけ離れて深い解釈をする場合も起こるということだ。
その意味において、正解など無いということになる。
現代のおかしなところは、意味を説明すること、「これをするのは、こういう意味があるからだ」という前置きがあってから始まる。
ということは、ある事に対してのものの見方が一方向しか無いということになる。
もちろん、その場合もあるが、そうでない事もある。
また、一方向の中に多様な視点があったとしても、方向性は決められている。
それを続ければ、そういったものの見方や捉え方しか出来ないようになるということだ。
意味は自分で見つけるから、その見つかるまでの過程が楽しいのであって、見つけてしまえば「何だ、そんなことか」だ。
しかし、この過程を踏まずに、先に意味を知って、後追いという形で何らかの行動や作業をすることが本流になっている。
だから説明が無いセミナーや教室は、不親切だというレッテルを貼られることになる。
しかし、意味を先に知って、何らかの行動や作業するというのは、どういうことなのだろう。
行動や作業の間、自分の頭は使わないということだ。
では、その行動や作業は一体何なんだろう?
出版記念トークライブショー11月12日(土)午後2時~4時
http://2016hino.jimdo.com/
東京ワークショップ 11月21日‐24日
http://hinobudo.wixsite.com/workshop
98回武禅のレポートをアップしました。

https://www.hino-budo.com/buzen5.html

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