何で気付くか

例えば、何か出来事があって、その出来事から自分の何かに気づく。
また別に、出来事からではなく、頭を働かせることで自分の何かに気付く。
もちろん、ここの「頭を働かせる」というのは、自分という実体から離れて、想像や記憶の羅列をするという意味で、言わば、想像の為の想像だ。
そうなると、気付くそのものが想像上のものだから、自分にとっては気付くだが、実際その気付きは自分に対して何の力も持たない。
力も持たないというのは、行動動機にはならないということだ。
となると、それこそ負の連鎖ではないが、自分は何も行動しないのだから、「何もできない自分」という思いが残る。
つまり、自分を駄目だと認識する力が強くなる、あるいは、その方向に自分は向いていく事になる。
しかし、出来事から気づいた場合、それは文字通りの気付きだから、行動動機になる。
「気付く」と一言で言っても、そんな違いがあるのだ。
これらは、注意深く自分を観察することで見極められるのだが、人は直ぐに記憶に支配されてしまったり、その連鎖としての想像に支配されたりする。
ここでも脳の、「快を求めて、不快を避ける」という原理が働いているのだ。
行動しない人は、際限なく行動をしない。
それがその人にとって「快」だからだ。
そんな話やワークが今週末からの「武禅」だ。
出版記念トークライブショー11月12日(土)午後2時~4時
http://2016hino.jimdo.com/
東京ワークショップ 11月21日‐24日

http://hinobudo.wixsite.com/workshop

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