大阪WSでのドラマ

そういえば、先日の大阪ワークショップで、私のワーク特有のドラマがあった。
初日の最後のコマ、表現塾でのことだ。
偶然、何かの先生同士が組んでいた。
二人とも初参加で、そしてこのコマが最後のワークだ。
ワークは「向かい合って座り、相手に言葉を届ける」、つまり、相手に自分を表現するのだが、「つもり」を排除していくのだ。
自分は確かに向かい合っている人に話している。
だから、自分は相手に表現されていることになる。
その先入観を外し、目を閉じて相手の声を聴いていると、確かに声を出しているが、遠くにいるような、あるいは、発声練習をしているような、壁の向こうで話しているような、そんな感じに聞こえてしまう。
目の前にいるのは間違いない、しかし、そこに確かな意志、明確な意志「相手に伝えたい」が働いていない限り、目の前の人には届かないのだ。
特に役者の人達は、「私には言って貰ってません」と駄目だしを受ける程に演技になる。
声の出し方に焦点が辺り、決して「私が」という意志にはならない。
見事に気持ちの悪い言葉になる。
それは時間が経つにつれて、初めての受講者でも気付いていくのだ。
例によって二人とも、????の連続で、何が何やらわからないドツボにはまっていた。
特に一人は、最初の身体塾から、何でも自分の持つ言葉で理解しようとして、しかもこちらの説明を全部自分側に引き寄せて、小難しい言葉に変換してしまうのだ。
当然、そういった頭の回転に全神経が向いているので、何も感じられることもなく、そしてずっと曇ったような半眼のような、どこを見ているのかわからない目をしていた。
助手の妻がその女性の側について、あれやこれや言っていた。
そうすると、ちょっと良い感じになってきていたのが見えた。
そこで、すかさずアドバイス。
それが功を奏し、急に女性の顔が変わった。
前に座る女性に必死で声を届けようとして、姿勢が変わり、声が輪郭を持ち出し、前に出て来るようになり、そして目が開いたのだ。
目が開いたというのは、変な表現だが、そうとしか言いようが無いのだ。
曇った目に光が宿り、はっきりと前の女性を見て、声をかけているからだ。
当然、前に座る女性もびっくりと大喜びで「全く目が違います!私をちゃんと見て下さってます!!」「声がこちらに届きます」となっていた。
この事を、意志が発動したという言い方をするが、その人自身が、その人自身の声になったのだ。
日常の明確な意志を持たなくても生活が出来る、生きる事の出来る癖が、自分自身が対象のもの、「この人に」という意志を持つ。
その事が自分にとってどれだけ重要なことか。
その意志が土台となって、自分自身を形成させるのだ。
関係、そして表現という事の、最も根底にあるところを稽古する。
そうすると、こんなドラマは起こるのだ。
この根底を外して、方法だけが、そして意味だけが溢れているのが世間だ。
自分自身を外して一体何がどうなるのか?
「武禅」にしろ、「ワークショップ」にしろ、「明鏡塾」にしろ、全てはここに気付いて欲しいからのものである。
「あなた自身」のことだからだ。
本人も「不思議です。急に視野が広くなって、何より視界が明るくなりました!」
横で稽古していた女性が「なんだかとてもきれいになってます!」と、周りの人達も驚きを隠しきれない感じになっていた。
と言うようなドラマがあった。
出版記念トークライブショー11月12日午後2時~4時
http://2016hino.jimdo.com/
東京ワークショップ 11月21日‐24日

http://hinobudo.wixsite.com/workshop

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