目的、衝突、そして関係

「関係性」が優れている、というのは、どういうことだろうと、改めて考えて見る。
そうすると、結局のところ「自分自身の意志が明確でなければいけない」というところに辿り着く。
つまり、「関係」というものがあるのではなく、理解したい、獲得したい、知りたい他という、対象のものや人に対する欲求が、どれほど強いかが、関係を創るということが分かる。
つまり、曖昧な雰囲気や気分が関係を作るのではない、ということだ。
その角度から言うと、「関係」という言葉など頭に無い人、自分の目指すものが明確な人が、結果として関係を豊かなものにすると言えるのだ。
10月8日から秋の「武禅」が始まるが、ここでも口を酸っぱくして言うのが「自分はどうしたいのか」である。
その「どうしたい」というところに“関係”を入れては駄目なのだ。
「どうしたい」は、対象のものという具体だ。
どうしたい、を徹底するから、人と衝突したり阻害されたりする。
そうすると、その衝突から「他人はどう考えているのか」が見えて来る。
それが見えると、他人の考えに沿って話が出来るようになる。
つまり、表面的だが関係を築くことが出来るのだ。
大方の人は、衝突を避ける。
あるいは、衝突しても、そこに感情しか残さない。
であれば、その衝突は全く無意味なものとして残るだけだ。
「どうしたい」の先には、必ず衝突が待っている。
そこと向かい合えなければ、その衝突をどう回避するのかを、衝突を通して考えられなければ、「関係」という豊かなパイプを築ける自分にはならないのだ。
出版記念トークライブショー11月12日(土)午後2時~4時
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