作業が教えてくれること
パッキングをしなければ、と思いつつ目の前の事をやっている。
昨日のブログはもう少し、構造を明確にしてから書き直そう。
屋根修理の作業が、何故疲れるのか。
一つは、勾配のある足場の上での作業だからだ。
しかし、よくよく考えてみると、そうではない。
それは、私の思い込みであり固定観念だ。
つまり、私は屋根修理の作業そのものよりも、勾配のある屋根に対して、意識が向いているということなのだ。
その事によって身体が必要以上に緊張するからだ。
「落ちるかもしれない」と頭をよぎる瞬間がある。
それが身体を緊張させるのだ。
「思ったことは実現する」まさしくそれで、「落ちる」と思うから落ちそうになるのだ。
当たり前だ。
「落ちるかも」と思うから、必要以上に身体は緊張する。
そうすると、身体の動きは悪くなる。
文字通り「落ちるかもしれなくなる」のだ。
この、勾配のある足場は疲れる、という観念を取り除こうとすれば、修理そのものだけに意識が向かなければならない。
しかし、その為には、ある一定量勾配のある足場と作業を、体験する必要があるのだ。
決して、固定観念は理解するだけでは取り除くことは出来ないのだ。
丸太の上での作業は危険だ。
というのも、道場を建てている時に克服した。
克服には、もちろん一定量の体験が必要だった。
その一定量を超えると、作業そのものをさほど意識しなくても出来る様になる。
そうすると、丸太の上でも危険では無くなるのだ。
しかし、面白いことに丸太の高所作業を2.3日せずに別の作業をし、改めて丸太に乗ると冷や汗が流れるのだ。
完全に克服されているのではないのだ。
もちろん、そういった高所を仕事としている鳶職の人達は、一定量以上をこなしているから、ブランクがあってもいとも簡単に作業が出来るのだ。
屋根修理という、他愛もない作業一つでも、少し考えると相当深く考える事が出来る。
だから、人によって体験が違う、同じ体験は誰にもできない、ということになるのだ。
大阪ワークショップは9月22,23,24,25日です。
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