考えるな、体にきけ!
8月22日「考えるな、体にきけ!」(BABジャパン出版)が出る事のお知らせをしている。
この本は、厳密には書下ろしではなく、1996年辺からの連載記事を「身体」という事でまとめたものである。
編集者がまとめたものに、新しく筆を入れたのだ。
私が書いた原稿だから、私が読むとその当時のレベルが蘇る。
中でも面白いのは「武術」という書き方だ。
この場合は「術」つまり、身体技術に拘っていたということだ。
それがこの本の後半では「武道」に代わる。
その過程が、私自身の成長というか進化というものだ。
武道と武術は別物、という考え方もある。
もちろん、そもそもが「武道」という名称や実際に普遍性は無いのだ。
その意味で、それぞれが「これが武道だ」と決めればその通りであって、それは間違っている、ということではないのだ。
その意味では、コンテンポラリーダンスと同じだ。
「これがコンテンポラリーダンスだ」と言えば、それはそれで成立するものだ。
だから、これらの中身は相当異なるということだ。
だから、この手の話では、相当話の食い違いがあり面倒なのだ。
そういった事も、過程の中で気付いていった結果が、「武道」になったのである。
それぞれの「武道」や「コンテンポラリーダンス」だから、当然その中身は、それこそ「月とスッポン」くらいの違いはある。
だから、私は武道というものを●と捉えると、読者に誤解が生まれるのを少なくなるように、この本では結論づけている。
この捉え方が、実は技術を固定的なものにするのか、進化する可能性を持つものにするのかの分かれ道でもあるのだ。
私は、身体技術を徹底的に厳密なものと定義した。
だから、その技術は私自身をも否定し続ける。
つまり、無限の可能性を要求するのだ。
だから、稽古をし続けなければならないのだ。
例えば、3,4ヶ月合わない人は、「あれっ」と私の変化に気付く事もある。
何か理論付けをする時、私が一番重要視するのは、自分自身を否定しているものかどうかだ。
そうでなければ、私にとって全く意味をなさないからだ。
発展途上、だからこそ努力をする。
生きるとは「自分に対して努力をし続けること」とも言えるからだ。
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