生身の身体、だからこその関係性

昨日は「明鏡塾」3期生の最後の研修だった。
それぞれが、一か月の進化、あるいは、問題、あるいは、状況を発表する。
「触れる」と「聴く」が常にテーマだ。
若い理学療法士が、お年寄りが笑顔を見せ、リハビリを積極的に受けてくれるようになった、と報告があった。
また、そういったお年寄りとのやり取りが、症状緩和に積極的に役立っているとの報告もあった。
リハビリを必要とする人に対して、もちろん、リハビリが必要なのだが、それは受ける人の意欲があっての話だ。
保険の点数が必要だからのリハビリなど必要ではない。
意欲をいかに引き出せるか、そこだけしか重要な点は無い。
何時も書くように、どんな技術を持っていようが、「あなたには身体を触れられたくない」という拒否反応を誘っていては話にならない。
どうして、この肝心なポイントを抜かしてしまうのだろうか。
研修は、会話の仕方を指導するのではない。
仕方は意味が無い。
仕方は患者さんの違和感を誘うからだ。
先日、ある高名な医師から相談があった。
奥さんが鬱の症状がひどくなり、入院ということになったという相談だ。
色々話を聞いていて、結果、その医師の在り様が問題だと発見し、意識を変えて下さい、と話した。
それが出来る医師だからだ。
すると、明くる日には、奥さんは相当改善された様子が見えた。
後日、声に力が出て来たと報告して頂いた。
つまり、問題は「関係性」そのものだという事だ。
もちろん、そこに薬や、様々な施術が補助として必要なのかもしれないが、重要な事はまず「関係性」である。
時間と共に、薬や機材が発達していくだろうし、もちろん、リハビリ用のロボットもどんどん開発されて来ている。
大方の事は、ロボットで事足りる様になるだろう。
それは、ロボットの方が正確だからだし、患者さんに余計な違和感を与えないからだ。
若い理学療法士達に、「とにかく名医になれよ」と檄を飛ばす。
人の話を聴ける、そして触れる事が出来る、という名医だ。
こればかりは、絶対にロボットには出来ないからだ。
それは、「人と人」、という生身の身体の関係性だからである。

Follow me!