時の経つのは早すぎる

あっという間に8月に入っている。
先日福岡でのワークショップを終え、バレンシアへ、そして沖縄と続いていたが、月日の事、時間の事を忘れていたら8月だった。
年をとると時間が早くなる感じがするのは、時間の事を考えないようになるからではないのかな、とも思う。
あるいは、仕事の手が遅くなるから、かもしれない。
もう一つ言えば、色々な記憶があるから、つまり、若い頃、以前の自分、子供の頃等の記憶が、比較しているから月日の経つのが早いとしているのだろう。
多分、これが正解だ。
記憶が「私」だと言っても過言ではないだろう。
その記憶を蘇らせているのは「私」だ。
ここの層構造を明確にする必要がある。
先日沖縄での打ち上げで、そんな話にも進展した。
「私」って誰だ?だ。
記憶も含めてそこを突き詰めると、結構面白い。
今、急ピッチで「武禅」のレポートを仕上げている。
レポートだから、そこに並んでいるのは言葉だ。
体験した事、体感した事、気付いた事、それらを言語化したものが並んでいる。
読むのは、その言語化の奥だ。
言語化するには、国語力がいる。観察力もいる。洞察力もいる。一番大事なのは、自分が本当に感じた事、思った事が、「その言葉なのか」という言葉と自分との接点だ。
今、並べたことは20歳の頃から考えている事だ。
もちろん、答えなど出ない。
正解は無い。
だから、頭は回転するのだろう。
というのは、答えが出ないから、色々な角度から視点からその問題を考えるからだ。
正解のある事だけを考えると、単調な視点しか育たないのだ。

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