レポート終了!
「武禅」のレポートをやっと書き上げた。
「武禅」は97回になる。
その97回の間、延べ1,000人以上の人がレポートを書き、それを読んできた。
1泊2日でやっていた時期もあるが、1回で50枚から180枚のレポートを読む。
そこには多種多様な気付きや感想が綴られている。
文章の上手な人、言葉を上手に使える人、感覚的な言葉を使うのが上手な人。
あるいは、その逆に、それらの下手な人がいる。
また、素直に書ける人、書くのが得意な人、評論をする人もいる。
それらから社会的な立場を考えると、書くのが得意な人や評論をする人は、立場のある人に多い。
つまり、書くとか話す機会が多いということだ。
しかし、「武禅」において重要な事は、言葉と自分の間に隙間が有るのか無いのかである。
その意味で、上手下手は一切意味を持たない。
最悪なのは評論や納得している文章だ。
これでは自分を前に進ませることは出来ない。
自分を何様だと思っているのか、ということだからだ。
もちろん、感想文も前には進むことは出来ない。
ここ数年、毎回受講してくれている女性がいる。
この女性のレポートは読み応えがあるのだ。
今回のレポートの一節で
「今まで、自分が外の要因のせいにして、うまくいかなかったあれこれは、全て自分がそれを選んで来たと実感して、悔しくて吐きそうだった」が秀逸だ。
正しく自分に対して、自分そのものを一刀両断だ。
自分自身の現状を正しく認識しているということだ。
何よりも、自分自身に対して感情が噴出している。
だから、当然自分を成長させる事が出来るのだ。
自分の根本を揺るがすには感情しか無いのだ。
「武禅」では、もちろん、毎回同じことをする。
だから、この女性の進化というか、成長を目の当たりにする事が出来る。
そうすると、前回と今回の間で、何を自分に強制してきたかが見えるのだ。
そういった、自分を作り替えていくという作業に取り組むのか、「武禅」を受けて納得したから自分は出来ていくと思っているのか。
それはレポートを読んでいるとよく見えて来る。
また、レポートは各セクション毎に書く。
その書くという作業を終えると、「終わった」と思ってしまう人も多々いる。
これは企業で働く人に多い特徴でもある。
研修慣れでもある。
一体何をしにこの場に来たのだろうと思ってしまう。
「武禅」は100回で一応の区切りにしようと思っている。
私達の体力の限界もあるからだ。
そうはいうものの、余りにも要望が多いので思案中でもある。