バレンシア色々
柔道のディビットと投げをやると、私の体重が無くなるのを感じる。
「投げて見ろ」と投げさせた時、無理やり投げているのではないから、私の身体が完全に浮き上がり空間に放り出される。
ある意味気持ちが良い。
次に縦系の連動をディビットの動きとシンクロさせる。
そうすると私はビクとも動かなくなる。
ディビットの力と衝突しているのではなく、私が別の方向へ力を出しているからだ。
ここでも、重要な要素は相手とのシンクロ、同調だ。
ふと感じる疑問をぶつけて見た。
外国へ教えに来て、常々感じている事だが、「要素」という概念を持っているのかどうかだ。
聞くと、その概念は持ってはいるが、そのことと身体の事は別、武道とは別で、一緒に考えないということらしい。
しかし、農家の人達は、その概念は間違いなく持っており、生活の中で活かしているという。
それを聞いて「やっぱり」と思うしかなかった。
言葉としては、存在するが全く使っていない、というのを最初から感じていた。
数年前、私の書いた合気道塩田宗家の事を、フランス語に訳す時、その翻訳をしてくれる人と何度もメールのやりとりをした。
その過程の中で「要素」の意味がどうしても通じていなかった。
誰でも意味は知っているが、それを使っていないらしいのだ。
これでは、私の教えている事が理解できる筈も無い。
では、日本人は理解しているのかというと、分かる人もおれば分からない人もいるというのが、本当のところだろう。
要素であっても、教える時には一つの形になる。
一つの形だから、それを一つの技と捉える。
それもいたしかたの無い事だが。