うっとおしい顔は、周りを不快にさせる

うっとおしい顔を見ると、うっとおしくなる。
うっとおしい顔をしている人は、自分がうっとおしい顔をしている事を知っているのだろうかと思う。
それが年配の方なら、その家族はどんな状態なのだろうと思う。
うっとおしい顔というのは、表情の無い顔、不平不満一杯の顔だと言える。
特に東京には多い。
その意味で、人間が住むところではないと思う。
うっとおしい顔でじっと見られると、一挙に中学時代に逆戻りしてしまう。
「何や、文句あるんか、おっさん」という、反応をしてしまいそうになる。
今では「何か御用ですか」と言うが。
大方は、自分自身が他人に対して、どう表現しているのかを知らなさ過ぎるのだ。
表現は、何も特別な事ではない。
もちろん、自分が「こう見せたい」と思っているのに、他人は全く違うように見ていることは多々ある。
というよりも、こう見せたいということを、他人の目でやっていないのだから、全く違うように見られて当然だ。
そんなところにも、社会生活の関係性の薄さや、関係性の無さが見える。
うっとおしい顔の人に、「うっとおしい顔をしているから、こちらもうっとおしくなる」という時がある。
しかし、当人はうっとおしい顔をしているとは思っていないので、「ええ、そうなんですか」となる。
つまり、それくらい自分自身の現れ、あるいは、自分自身に無頓着なのだ。
しかし、自分の思いには敏感だ。
だから不平不満の顔に現れるのだ。
うっとおしい顔は、周りを不快にさせる。
そんな当たり前の事に気付かない人たちが大勢いるということだ。
そんな中で、見ず知らずの人と談笑出来たらホッとする。
そんな時、以前に書いたパリのホテルでの出来事を思い出す。
満面の笑みで「こんにちは」と言ってくれる女性だ。
その笑顔で、その日一日が気持ち良くなるのだ。
誰しも生まれつきうっとおしい顔をしているのではない。
どこかでボタンの掛け違いが起こり、その顔になっているだけだ。
満面の笑みとは言わないが、笑みを湛え「こんにちは」を言ってみよう。
最初は気持ち悪がられるが。笑顔が板に付いて来たら、こっちのものだ。
周りを巻き込める笑顔になっていく。
それも社会で生きる人の役目の一つだ。

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