目的を持っている人は偉い2
私は目標や目的を明確に持ったことは無い。
もちろん、将来こうなりたいというような夢を持ったこともない。
でも、まあ生きている。食べられない時期は、常にあった。
と語れる程には食べられていた。
餓死はしていないのだから、これを書けているのだから。
そんな私が、もしも若い時に目標や目的を持ち、あるいは夢を持つことで、何とかなっていたのか?
どう考えても上手くいっていたとは思えない。
それは、本気でそんなことを思えないからだ。
本気で思えないというのは、その事が自分の中には無いことだからだ。
それを持ちあわせている人にとっては、それが成功だから、成功するかもしれないが、私には無理だ。
今風の大方の人は、例えば今私が書いた「無理」という言葉をネガティブな言葉だというだろう。
味噌もクソも一緒にしか出来ない脳の構造しか持ちあわせていない人にはそう写る。
しかし、人は自分にとって何が無理で、何が無理ではないかを知っている。
あるいは、何が出来て、何が出来ないかも知っている。
もしもそれを知らないのだとしたら、一体どんな人生を歩いて来ているのかを疑わざるを得ない。
というよりも、人生の中で何も学んできていないということだ。