気紛れな気分

材料が尽きて屋根修理は途中で終わり。
連休だから材木屋も屋根材屋もお休みだ。
明日は本年初の草刈りと、残りの修理の寸法出しだ。
この時期は、鶯がうるさいくらい鳴いているし、蝉も時たま鳴く。
屋根の上で寝転んでいると色々な音が聞こえて良い感じだ。
先日水源に沢登りをした時は、猿が威嚇する叫び声を上げていた。
そろそろ山に入る時は、鉈を持って入らなければ危ない。
特に毒蛇のマムシが水を好むからだ。
そういえば、でっかいムカデは二匹目が出た。
一匹目は寝ている妻の手の甲を這っていた。
山に住む、田舎に住むというのは、そういうことなのだ。
そんなところから「人」を見ると、違いがある事が良く分かる。
30年以上山に住む私達にとっては、そういったムカデやマムシは普通だ。
しかし、それを知らない人にとっては、特別なことだ。
それは単に、知っているのか知らないのかの違いではなく、どう育ったのかの違いだから、感覚も思考も全く違う筈だ。
その意味では、自分の環境を変え、そこに馴染むようにすると、人間も変わる可能性は高いのだ。
変わるということで言えば、人は刻一刻一刻と変化している。
まるで自然界が一度として同じ風景を見せないのと同じだ。
一刻一刻の変化は、気分の変化や意思の変化だ。
「こうしよう」と思っていても、偶然何かしらに気を取られたら違う事をしている。
現に著作の原稿を書こうと思って、ワードを開いている時、ふと気になったことをググろうとしてネットを開けると、違う記事に目を取られあっという間に、違う世界に浸っている。
まさに自然界と同じだとつくづく思う。
もちろん、それで良いのだ。
人も自然界の一部なのだからだ。
しかし、その気紛れな気分を優位に立たせるのではなく、自分がやらなければならないことに興味を持たせなければ、何も前に進まないのも確かだ。
その辺りのバランスが大事だ。

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