熊本では車中生活
熊本が大惨事になっている。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りします。
また、怪我で入院された方の、回復をこころよりお祈りします。
私の生徒たちも、熊本・長崎・福岡にいる。
熊本のダンスの先生は、今車中生活をしているという。
大変だろうが本人も「命が有るのだから」と気丈に振る舞っているそうだ。
福岡の生徒が被災地に駆けつけてくれたので、その事が分かったものだ。
近辺の人達は、どうか助けあって下さい!
本当に何が起こるのか分からない。
起こった時には、その実際に対処するしかない。
そこでウダウダ言っていてもどうにもならない。
「何を努力してよいのか分からない」
昨日、ある番組で料理人になる若者のドキュメンタリーをやっていた。
そこで出てきた言葉だ。
この言葉を聞いて「なるほど」と思った。
「言われたことをやっているだけです」とも言っていたからだ。
先輩の料理人や、主人から「努力が足らない」と言われるが、その事が分からなかったのだ。
ということは、言われたことをやっていれば、そして、言われたことがやれていれば、「良い子」と言われて育ってきたのだろう。
そして「良い子」と言われる事が良いことだと思って、それだけを目指してきたのだろうということだ。
前にも書いたが、それが間違っているのではない。
言われたことをやる、そして出来るというのは能力が高いということなのだが、そのことを自覚できない不幸だ。
見ていると、ある程度は料理の手際は良い。
何が欠けているのかは、その料理を食べる人に対して作っていないことだ。
「客が食べる」というのは、当たり前だが分かっているだろう。
しかし、そうする為にはどうしなければならないのか、そこを考える力が無い、あるいは、知らないのだ。
手際が良いのだが、料理跡が汚い。
丁寧に、ということも知らないのだ。
そこで言われたことだけをやってきた、ということのレベルが見えるのだ。
主人は「愛情がない」という言い方をした。
それでは無理だ。
この若者には届かない。
そんなギャップが、世の中のあちこちにあるのだ。
言われたことは出来る、とした時に、その言った人は、この若者にそれこそ愛情を持っていなかったということだ。
やれたのなら褒める、やれていないのであれば、ここは駄目、そんな指摘や喜びを共有していないから、若者は「何を努力してよいのか分からない」のだ。