諦めた時が失敗を作っている
失敗や間違いは、何が決定するのか。
それは時間と自分自身のこころだ。
時間というのは、どの時点で終わりとしたのかが、結果が失敗であったり間違いだったりを決定するのだ。
こころが大事で、こころがめげたり、諦めたりした時に時間は止まり、その事で失敗や間違いになるのだ。
その意味で、失敗や間違いがある、という事が私には理解できない。
それは「やろうと思ったことはやれるまでやる」という事が身に付いてしまっているからだ。
そして、その「やれるまで」という時間的中身は、試行錯誤の連続、つまり、全部失敗と間違いなのだ。
結果の1秒前までは失敗と間違いなのだ。
だからもし、途中で諦めていたら、それは全部失敗だったとなっている。
どんなことでも、全ては自分次第なのだ。
この自分次第というのは、こころ次第ということで、考え方次第なのではない。
考え方がいくら良くても、こころがめげたら何も成すことは出来ない。
逆に、こころがめげなければ、考え方はいくらでも付いてくるものだ。
熊野の道場を建設するのに、約10年の歳月がかかった。
私の周りの人は全員無理だと思っていたし、諦めるだろうとも思っていた。
それは、「人はこうだろう」という先入観に支配されているからだ。
私は残念ながら「出来ない」という言葉など持っていない。
そんな人間もいる、ということを想像出来ない貧困な人、先入観に囚われている人には、そのことは分からない。
私のやることは、たかだか道場を建設するだけのことだ。
世間には、もっともっと「出来ない」を持っていない人はいる。
しかし、そんなことでそれが「人の可能性だ」という言葉を使いたくない。
人の可能性というのは、もっと別の次元のものだからだ。