答えは時間が運んでくれるから自分でだすな

どうしてポジティブでないといけないのか。
その傲慢さが鼻につきイラッとする。
世界は色々な人が存在することでバランスしている。
それが生態系そのものだからだ。
まず何よりも、ポジティブとネガティブというように、右と左だけに分けている事が、何と単純な思考なのかと思うところだ。
よく考えるのは、よくある話で色彩だ。
例えば、白と黒があったとする。
それを両端においたとする。
そしてグラデーションで白から黒、あるいは、白から黒へとあったとする。
では、どこから白なのか、どこから黒なのかだ。
どこからが朝で昼なのか、そんな自然現象も考えてみる。
つまり、その自然現象の一部である生物、そして人間だ。
その思考だけが白か黒かという単純思考しかないというのは、不自然極まりないということだ。
もちろん、物事を何かに合わせて明確にする時は、白か黒かで良い。
右の道を行くのか、左の道を行くのか、やるのか、やらないのか、というような事は明確だ。
その明確さは何故必要なのかだ。
それは不明確なものがある、という事を知るために必要なのだ。
先程の色彩だ。
極端には白と黒だが、それがお互いに寄ってくるとその境目は分からなくなる。
つまり、不明確な点があるのだ。
同時に、その不明確な点から言えば、白も黒も実は同じだということを知るためでもある。
右でも左でも、やってもやらなくても、結局は一緒だということだ。
一緒だというのは、人は自分のやりたくないことは絶対にやらないからだ。
そこをコントロールしたいのかしたくないのか、それもどちらでも良い。
何れ分かる。時間が答えを持って来てくれるからだ。

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