間違いの指摘

間違っていることを具体的に指摘されると、具体的に指摘されたことは治る。
現代ならこの調子でないと、「指導が下手」あるいは、「不親切」「何も教えてくれない」ということになる。
それは、自分自身の持つ推測する能力や察知する能力、大きくは想像力を積極的に退化させていくことに他ならない。
しかし、世間や政府の方針だから、教室やワークショップでも言葉を尽くすようにしている。
しかし、人の能力を退化させる事に加担するのはこころが痛い。
昔の指導法は古い、とあちこちで言われている。
もちろん、古い方法も沢山ある。
しかし、良い方法も沢山あるのだ。
その内の一つが、間違いだと指摘しても、それは何かを伝えない方法だ。
先程の「具体的な指摘」ではないのだ。
もちろん、私はその方法で育った。
だから良いというのではない。
そこで得たことが想像力だった。
この力はどんな時にでも発揮できる武器でも有る。
具体的な指摘が無いからこそ、様々なケースを想像する。
それらを全部やり直していく。
そんなこともあった。
もちろん、具体的な指摘は、即座に治ることもある。
しかし、それが無い場合、やたらと時間がかかる事もある。
その時間と引き換えに、自分の能力は育まれていっているのだ。
それを教育や育てるというのだが。

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