世界観は子供の頃から
人間関係での問題の多くは、自分自身の持つ環境の狭さが原因だ。
私達は子供の頃、年上の人から年下の子供まで、近所に住む多くの子供達と遊んできた。
4,5歳で何も出来ない子供まで、お兄ちゃんやお姉ちゃんに付いて来た。
もちろん、障害を持つ子供もいた。
そんな子供も一緒に遊ぶのだ。
そんな時、何も出来ない子供用にルールが決められる。
当時は、そういった子どもの世界というものがあり、大人は一切関わらなかった。
もちろん、そこでは喧嘩もあれば、仲間はずれも有る。
その都度ルールが決められることも有る。
そういった状況の中で、自意識は育っていくのだ。
口の聞き方も、年下の面倒の見方も勝手に覚えてしまう。
年上の兄ちゃんが、仲間外れになった子を見つけると、「お前ら、ちゃんと遊んだれや」と怒る。
社会とはそういうものであって、「学」として学ぶものではない。
言葉として知ることでもない。
そうなった時、その全体は言葉に切り取られ、狭いものになってしまうからだ。
「当時は」と書いたが、現在でもこういった世界があるかもしれないが、それは多分に大人の演出が入っている。
どうも、昨今の大人は子供を管理したいようだ。
それが子供の持つ広がりを狭めているのだとは気付かないのだ。
「能力開発」や「自己啓発」という言葉が飛び交っているくらい、それらは学べるものだとも思っているのだ。
「武禅」には、この人間関係での対応や対処が出来ないと受講してくる。
もちろん、その人間関係を修行するのが目的だからそれで良い。
そこで何時も話すのは、「学ぶのは自分自身であり、人は人に教える事は出来ない」という。
自分が学ぶというのと、習うというのは全く違う。
自分自身に気付いていくのと、何かを足していくのとの違いだ。