気持ちの悪い身体は気配りの無さから

やっと、「武禅」のレポートを整理してアップした。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html
受講者全員のを読むと相当疲れる。
それぞれの思いが詰まっているからだ。
ワークを一面的にしか捉えられない人、一面的にしか捉えられていないが、言葉面で誤魔化している人。
きちんと、自分自身の事として捉えている人。
何がなんだか分からない人。
自分の事として捉え、自分の事に置き換えている人。
他人事として捉え、評論している人。
他人のことばかり見ている人。
それぞれ、色々ある。
それら全て、その人の人生に対する姿勢の現れだ。
それは写真も同じだ。
写真には全てが写り込んでいるが、その「全て」が曲者で、何を見るのかが具体的に分かっていない人にとっては、例えば「ひどい顔だな」くらいのものだ。
それでは、人と会話をしていても、言葉面しか分からない人だ。
会話は言葉だが、そこにある情報は、顔であるとか目、声、身体、動作等と沢山ある。
それらを総合して、あるいは統合しての言葉だ。
昔は、水商売では足元を見られるから履物は良い物を、と言われていたものだ。
今では、そんな常識は殆ど無いが。
しかし、それは自分に対する気配り、相手に対する気配りの事だ。
そういえば、今回の「武禅」で銭湯の話が出た。
30年にはならないが、それくらい前に大阪の西九条辺りで銭湯に入った。
結構混んでいるな、という感じだったが、よく見るとそれ程でもない。
では、どうして混んでいると感じたのか、それが気になり入っている人達を観察した。
すると物体のような身体の人が多かったのだ。
つまり、自分や他人に対する気配りの無い人が多かったということだ。
私達は狭い国土で、ひしめき合って生きている。
その状況だから、自然に、あるいは、躾として「気配り」が根付いていたのだ。
しかし、そういった躾も分からない人の方が多くなっているので、物体のような気持ちの悪い身体だらけなのだ。
こればかりは、いくらオシャレをしても隠し切れないものだ。
まあ、オシャレをしようかという人は、まだ気配りの欠片は残っている人だが。

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