恐怖の大宴会!
「ワーク全体を通して、自分が生きて来た世界観は何だったのだろうという衝撃が大きかった。そしてその世界観は、言葉だけでは今の自分には決して分からないものだと思う」
何とも新鮮な感想だ。
「武禅」初受講の20代前半の大学院生のものだ。
今回は、比較的若い世代が多くいた。
どうなることかと、危惧していたが、時間と共に、ワークと共に、脳みそが揺さぶられ続けているのが分かった。
まだまだまともな若者達だった。
単純に目の前の人と話すというワーク。
しかし、そこには思わぬ落とし穴が待っている。
それは「私には話してくれていません」というジャッジだ。
単に音しか出ていない言葉など、人のこころには届く筈も無いし、届く意味もない。
生の人間で有る筈の人間が発する言葉が、音と意味という無機質なものだとおかしいだろう。
そんな問いかけを目の前の人から受ける。
そして、誰に話しているのか分からない、拡散した音。
当然、目の前の人は「一体、私の前で何をしているの?」ということになる。
そういう具合に指摘され続けてくると、確かにそうだと気づいていく。
そして立場が変わると、確かに自分には話してくれていないことを体感する。
では、今までの会話は何だったのか、となっていく。
もちろん、それに気づかない人もいる。
自分を全否定することなど到底出来ないのだ。
しかし、現状をきちんと認識しなければ、次の一歩など有る筈も無い。
ワークを終え、風呂に入りゆったりしたところで宴会だ。
そこにはワークの続きが待っている。
本当は、その宴会が「武禅」の真骨頂なのかもしれない。
ワークで気づいた事を実践できるかどうかだ。
そして、自分の硬い殻を突き破るチャンスでもある。
先輩たちが完全に壊れる姿を見て大笑いをする。
そうだ笑える感情があるのだろう。
では音を出すな、なのだ。
声を出せなのだ。
連日、大爆笑ありの宴会に腹の皮がよじれすぎた。