気持ちの動きが全てを生む

どんな場合でも人が行動する時、一番最初に来るのが好奇心や興味という気持ちだ。
「自転車に乗りたい」あるいは「ここへ行きたい」「この仕事をしたい」等々だ。
幼児がおもちゃを欲しいが、お母さんが駄目だという。
あるいは、お母さんがこっちの方向行くよ、といっても幼児は自分の興味の無い方にしかいかない。
そんな時、お母さんは困るし、幼児は決まって駄々をこねる。
それは、一面的には幼児のワガママの現れだ。
しかし、もう一面からみれば、幼児は自分の好奇心や興味の方向に対して意志が明確だということだ。
ただ、幼児だから自分の好奇心や、興味対象を実現させる術を知らないだけなのだ。
だから駄々をこねるということでしか表現出来ないだけだ。
つまり、好奇心や自分の興味対象に対して、「どうすればそれを実現できるのか」という術・方法は、この為、この事に必要なのであって、幼児のように自分が「〜したい」という好奇心や興味対象を持たないものには、全く不必要なものだということだ。
逆に言うと、現代的な「意味」から生まれた価値(やりたいこと)では、「どうすれば」という興味も好奇心も湧いては来ないのだ。
この好奇心が強ければ強いほど、そのことの実現率が高くなるし、実現された事は質的に高くなる。
それは「〜したい」があるから、そのしたいことは「どんなことだろう」と知識や情報も必要だ。
そこから「どうすれば」を考える事ができ、実際的取り組みとしての行動になり、また新たな「どうすれば」が見えてくる。この過程の無限連鎖が起こるからだ。
結局のところ、全ては好奇心と興味対象から生まれるのであって、意味からは生まれないのだ。
意味から生まれたものは、常に実現しないのだ。
何故なら、無限連鎖が起こらないからだ。
だから「方法だけを求める」という現代の特徴なのだ。
ダイエットの失敗が、その典型的な例だ。
成功している人は「気持ち」が動いたのだ。

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