きれいな顔汚い顔

きれいな顔、汚い顔、この違いは、一つは、自意識と自分の年令が同じかどうか、一つは、何の企みもないかどうか、一つは、ひがみっぽいかどうか、一つは、いじけているかどうか、一つは、気持ちがオープンかどうかに現れる。
もちろん、これらは自意識と比例しているので、一括りで言うと、自意識が幼いかどうかで、きれいか汚いかが決まる。
それらは目付きや顔付きに現れているので、きれいな顔、汚い顔として判断できるのだ。
特に笑顔が分かりやすい。
口が歪んでいるのは分かりやすい。
その笑顔の中にはいじけた思考がタップリと入っている。
また、口は笑っているのに、目は笑っていないというのも分かりやすい。
単に周りに合わせているだけ、あるいは、様子を伺っているだけであって、笑っているのではないのだ。
その意味でも、笑顔が美しいというのは、人生をどう生きているのかの現れだと思えば良い。
自分の笑顔はどうだろう?
もちろん、これは俗にいう美男美女という事ではない。
それよりも、もっと大切なことだ。
昔の言葉で言えば、根性の現れ性根の現れの事だ。
ここでいう汚い顔の人が、医師であったりセラピストだったり、セミナーの講師だったりした時、「そんな顔の人に診てもらいたくない、話を聞く必要はない」と強烈な違和感、ストレスとして現れる。
しかし、それは無意識的なことなので判断には上がらないのだ。
しかし、自分の身体を丁寧に観察していると、それを体感出来る。
それをセンサーとして使えば、まず振り回される事は無い。
もちろん、振り回されるのが好きな人は、この限りではない。

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