明鏡塾2期生修了

昨日は「明鏡塾」2期生の終了日だった。
全員それぞれに、この1ヶ月の成果やチャレンジしたことを報告。迷子になっている人もいるが、概ね驚くような結果が起こった事を紹介してくれた。
もちろん、神業的治療ということではなく、「関係性」が主で起こった出来事だ。
鍼灸学校の先生は、一度自分の持っている技術や、治療法を患者さんに当てはめるのではなく、患者さんをじっくりみて気付いたことをしようと決めた。
そうすると、笑顔で患者さんを迎えられたという。
その事で、治療が捗ったのは言うまでもない。
そういった技術以前の問題、つまり、人と人との関係性を「触れる」を通して、徹底的に稽古するのが「明鏡塾」だ。
6ヶ月の研修はもちろん短すぎる。
ただ、余りに長いと依存する姿勢が生まれ、自分自身の能力を養う事はできない。
もちろん、様々な方法を知ることも同じだ。
大事な事は、自分を自分の力で成長させることが出来る事だ。
昼食を終え、午後からのワークに入った時、外科医が「足の裏側に張りがある」と訴えた。
これはチャンスだ。
全員に6ヶ月の成果を見せて貰った。
それぞれが、違った方法でその外科医にアプローチする。
但し手で触れないで、である。
それは私が指示したのではなく、皆が自主的にそれを選択しアプローチしたのだ。言葉を巧みに使いアプローチする。
最後の一人のアプローチまで、大爆笑の中でそれは行われ、最終的にその張りは解消されていた。
セミナー終了後、打ち上げ、そしてお茶会と流れは続いた。
施術師や鍼灸師、また医療従事者は、好むと好まざるとに関わらず患者さんの人生と、生命と関わっている。
「いや、私は腰痛を治すだけです」と云おうが思おうが、現実として患者さんという人に関わっている以上、その人の人生、そして生命と繋がっている。
だから、病人にとって、患者さんにとって重要な存在だということだ。尊い職業なのだ。
外科医が「病室で、たまたま私が発した『あっ』という言葉を患者さんが聞き、もしかしたら自分の病気は相当やばいのでは、その徴候が現れていたのでは、と半年間悩み続けたという事を聞いた。それを聞いて、改めて自分の立場を自覚した」と語ってくれた。
そこから言えば、腰痛だけ治しているだけだと思っていても、その施術師が「あれ〜」と、患部とは関係のないこと、治療とは関係の無いことでたまたま発した言葉が、先程の例のように、「もしかしたら、自分の腰痛は深刻なものなのかもしれない」と思い悩み、症状が悪化する事があるかもしれないのだ。
施術師や鍼灸師、全ての医療従事者は、これを自覚している必要があるのだ。
何故なら患者さんは病んでいるが故に、健常者よりも色々な意味で敏感だからである。
「明鏡塾」では、医療行為を通して、人と関わる、生命と関わる、という自覚を持てと促す。
その上での「触れる」である。
患者さんのこころに触れられなければ、医療行為の意味は無いのだ。
そこに触れる事が出来るから、つまり、関係性が築かれるから、その医療行為は患者さんにとって心地よいものになり、全幅の信頼を得られるのだ。
「明鏡塾」
http://meikyojyuku.com/

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