手応えに焦点を当てるな

「明鏡塾」でのメインテーマは「触れる」である。
しかしどんな職業でも、どんな趣味でも、人が人生を歩く上で絶対に避けられない重要な事でもある。
それが、「触れる」だ。
この触れるをどう認識するのかによって、当然その質は変わる。
文字通り単なる触れるなのか、そのものを感じ取るという触れるなのか、慈しむ触れるなのか、触れるを通して情報交換するという触れるなのか多々ある。
私はこの「触れる」という言葉は、人の持つ感覚の全て、つまり、それが五感だとするならば、それら全ては触れるだと認識している。
というよりも、体験からそう認識せざるを得なくなったのだ。
しかし、触れるはそのものとの対立関係なのではない。
単純な触れるは、そこに「手応え」を見出す為に対立関係になる。
手応えを持たない、手応えという焦点の当て方をするのではなく、触れるを通して起こっていることに焦点を当てるのだ。
また「手応え」は自分自身の判断を働かせる、という相手にとっての違和感を誘発させるものでもある。
聴覚を通して触れる、嗅覚を通して触れる、というような視点で、これらの感覚を磨く事が大事なことだ。
そういった感覚を練磨することが、会話を通して関係性を作り出したり、私のいう「入り身」、つまり、相手の中に入ってしまう、に育つのだ。
もちろん、流れに乗るも同じことだ。
今日は、ある患者さんの身内の方から「父はお陰様で足が床につき立てるようになりました」という喜びの報告を受けた。
「明鏡塾」の一人の治療の成果である。
「明鏡塾三期生」まだ空きがあります。
http://meikyojyuku.com

Follow me!