支配されている身体

昨日はストレッチの復習を十分にした。
任意の一点を止めて、遠心的に外にストレッチをし、一定方向に微妙な指示を与えると身体は動き出す。
身体が動き出す、ここが重要な点だ。
自分は方向を指示するだけで、身体は動き出すのだ。
この指示は日常でいうと、欲求や生理的反射や反応と同じだ。
身体を動かしているのは、この二つと、意志の三つだ。
それ以外は自動運動になっている。
つまり、日頃の自動運動を誰も矯正はしていない。
生まれた時から、ハイハイを経て歩き出す。
その自動運動が、自分の動きの基本になっているのだ。
だからこそ、クセ化された身体、クセ化された動きというのだ。
動き出している身体は、誰の管理も受けずに動く。
そこに存在するルールは、例えば骨格、例えば、習慣、例えば身体の歪みだ。
そして、自分自身の趣味や趣向、思考、つまり、意識だ。
つまり、無意識的に動いている身体は、身体の構造的特徴、性格や性質的特徴、趣味趣向や思考の特徴、という意識に癖として支配されているということだ。
もちろん、支配されていることが悪い事ではない。
ただ「クセがあるよ」というだけのものだ。
しかし、そのクセが故障を引き起こしたり、成長限界を決めているのも確かだ。
もちろん、それはそこに気付けば脱出することは可能だ。
それは整体や様々な身体矯正で行うのは無理だ。
それらは一時的なものだからだ。
これらは書いているように、自分そのもののクセだし動きだから、動きとして、また考え方として矯正する必要があるのだ。

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