ありがとうセントジェームス

どうなることかと思っていたライブだが、頭から何度水を浴びたの、というくらいの汗をかき、大成功の内に終わった。
セントジェームスは後3日で、完全に幕を下ろす。
奇しくもお店は、愚息一輝と同い年だ。
39年前の道頓堀。確かな記憶は無いが、現在ほど若者たちが行き交う筋ではなかったように思う。
まだ、渋めの老舗が軒を連ねていたのではなかったか、と思い出す。
角座も文楽座も定かではないがあったように思う。
そんな「芸」が渦巻く筋に、旦那衆が芸人やきれいどころを連れて食事をする。
そんな面影も残っていた。
そこに、新しい風として誕生したのが、ジャズバーセントジェームスだ。
当時は、どれほどの人が集ったのかは想像できないが、海外からのミュージシャンがこぞって、プレイングオーナーである、田中武久さんとのセッションを望んで集まって来た。
いわば、少し敷居の高い店だった。
今や、道頓堀は中国人観光客、韓国人観光客で溢れ、もしかしたら鶴橋?という感じがしないでもない。
極色彩という言葉がぴったりのネオンや店の陳列に音の洪水。
陳腐な表現だが、まるでおもちゃ箱をひっくりかえしたような光景だ。
そんな時代の波に飲まれて消えていく。
そう考えた方がけじめが尽く。
今回のライブは、時差ボケと風邪の熱の中で行われた。
それを覆す手立てがないかと考え、太鼓集一輝とのアンサンブルを試みることにした。
一年前のメインは、愚息との1対1だった。
それでは私としては面白みに欠ける。
そして気合の入りが弱い。
であれば、嫌が上にもバテていられない状況を作ったのだ。
これは功を奏し、観客は喜んでくれた。
身体は重く腕は動かない。
もちろん、スティックを持つ手は直ぐにバテる。
だからこそ、仕掛けが欲しかったのだ。
1部2部通して観てくれたお客さんは、「全く違うものでしたね」と大喜びをしていた。
そんなお客さんが、どうして違うように出来るのか?と質問があった。
「あんな、俺はプロやで」と大笑い。
色々な舞台を合わせると5000回以上の舞台を踏んでいるし、様々なジャンルの音楽をやってきているのだ。
アイディアがわかない筈はない。
鼻水はでるわ、涎はでるわ、汗でビショビショで目が見えないわ。
スティックは飛ぶは。
とにかく、それこそ身体を張ったライブは終わった。
「元気をもらいました」
「もっと一生懸命に生きなければいけないと思いました」
一番うれしい感想だ。
確かに音楽なのだが、本質的には生命の輝きが観客に見えれば大成功だ。
もちろん、それしか表現できるものを持っていないのだが。
田中さんの奥さんでジャズボーカルのロコさんが、今回は最後まで席にいてくれた。
「日野さん良い音を出してくれてありがとうございます。田中が一緒にやりたかったと悔しがっていると思います」
そう言って貰えて、ライブをやった甲斐があった。
さようならセントジェームス。
ありがとう田中武久さん!

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