分かりやすさを考える
セントジェームスのライブは、おかげさまで2部の夜9:00からの分、残り数席だけになりました。
1部は若干の余裕がありますが、ほぼ満席ですので、2部にお申し込みください。
出来るという事と分かりやすいとは、全く何の関係もない。
しかし、分かりやすいということが、現代の方向性だ。
それは重々理解しているが、中々分かりやすいというのは難しいものだ。
しかし、その難しいというのは、私だけの考えでもある。
一般的に、外国も含めて「分かりやすい」というのは、どれだけ多くの幻想を持ち込むかということになる。
幻想というのは、意味不明な言葉の事だ。
意味は不明でも想像しやすい、そこがポイントになるのだろう。
日頃、私の関係者には、自分が混乱するから幻想を排除しろという。
もちろん、それは間違っていない。
自分自身のことだから、幻想を排除しろなのだ。
しかし、他人に向けた言葉の時は、逆に幻想を組み込めとなる。
たとえ幻想であっても、想像しやすければそれにこしたことは無いからだ。
その事で、もしかしたら取り組みやすくなるかもしれないからだ。
パリの初日は夜のクラスからだった。
昼食をとり少し昼寝、といっても、20分ほどだったが。パリのクラスは、何故だかホッとする。
一番回数が多いし、常連の人達も多いので、日本の教室のような感じがするからかもしれない。
だから、よく日本語でそのままアドバイスをし、「えっ」と顔を見合わせる事がある。
「早く日本語を覚えろよ」だ。
今から、夕方まで定番のクラスが待っている。
天候は曇り。窓からエフエル塔が見える筈なのだが、曇天でかすんでいる。
どこでどう間違えたか、というよりもナビが遠回りの道を指示していたので、会場に着いたのは30分遅れ。
それでも待っていてくれたから有り難い。
例によって、ガタイの良い若者を相手に、肘や膝を展開した。
夜は近くのレストランで、パリで初の海老のグリルを食べた。
土曜日の朝は体育館だ。
とにかく肘の力を抜く、膝の力を抜く。
腕や足はこれに尽きるので、そこを徹底した。
初参加の人は目を白黒させて、力を抜けば力が出る、というところが理解できないという顔をしている。
ま、仕方がない。
土曜日の午後のクラスそろそろ出発だ。
胃薬を飲んでからにしよう。