目標よりも好奇心

確かに目的や目標が明確に設定されていなかったら、前に進むことも具体的に何に取り組めば良いかも分からない。
その意味で絶対に必要なものではある。
しかし、それは単なる正論だ。
つまり、そこには、自分自身の時期やレベルと関係しているからだ。
好奇心が沸いていない時、そんな時は、難しい事を考えずに何にでもチャレンジするのが良い。
つまり、人生を生きる上での最大の武器としての、好奇心がフィルターを破って顔を出す為の作業が必要なのだ。
それが無ければ、目的や目標の奴隷になるからだ。
好奇心さえ育てば、目的や目標という言葉に囚われず、建設的に前に進んで行くものだ。
それは、根気よく辛抱強くという、武器も手に入れることになる。
「こうしなければいけない」という言葉に振り回される事無く、そのことをやり続けられるという結果を出すのだ。
途中で匙を投げる人は、実は自分自身の好奇心に従ったのではなく、意味や目的、目標に振り回されたから、ではないかと思う。
生きているのは自分であり、自分の人生を歩くのだ。
しかし、この自分というところが曲者で、好奇心という本能から直結している能力に従っているのか、垂れ流されている情報に振り回されている自分なのか。
そこを見極める事が、最も重要な事だ。
もちろん、自分の力で、である。

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