大人になると誰も教育してくれない

大人になると「自分を教育してくれるものはいない」のだ。
先生は自分だけであり、「誰か」なのではない。
その意味では成長するのは、非常に難しい。
自分に対する客観性を持たなければならないからだ。
常に俯瞰で自分を見ることが出来る能力だ。
その目があれば、自分を教育出来る。
自分の立場は何で、今何をしているのか、何をしたのか。
そんな事から、自分を気付かせてくれるものだ。
俯瞰の目は、言葉を変えれば目的地へ行くための指標のようなものだ。
あるいは美意識、あるいは自意識、あるいは理想が基となる場合もある。
とにかく、現時点での自分よりも少なくともレベルの高い何かだ。
今年も後数日で終わる。
もちろん、そんなことはどうでも良いことだが、これも一つの考え方として「今年も終わる」のだ。
その事に現実感が有るのか無いのか。
そんな事も客観性の有無で決まる。
自分の人生の長さを想像する、というのも一つの客観性だ。
その限り有る中で、今の自分のままで良いのかどうかを計れるからだ。
先日、東京教室の忘年会というか飲み会があった。
武道という文化を媒介として、そういったことを実践するのが、私の言う武道なのだが、そう自分の思うようにはならない。
つまり、そう思う人がさほど集わないということだ。
何かがズレているのだろう。
つまり、私自身が教室に関して明確ではないということでもある。
そういった事が表面に出てきた1年だったということだ。
であれば、ということになる。

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