失敗しろとはいうけれど

失敗しなければ正解は見えてこない、とはいうが、単体の失敗を何度重ねても全く意味は無い。
当たり前だ。
自分はどこへ行きたい、という目的地があり、そこに辿り着くために色々な道を試してみる。
突き当りもあれば、道が途切れていることもある。
そうこうする内に、辿り着くための道が見えてくる。
そういうことだ。
そして振り返れば、その失敗は色々な事を教えてくれるということだ。
目的地が無いのに、やみくもに道を歩き、行き止まりになっていたとしても、それは只の行き止まりだ。
つまり、大事なのは「自分はどこへ行きたいのか」だということだ。
それが無い場合は、目先の今日を消化しているだけで、気が付けば「今年も終わり」というだけだ。
もちろん、それが間違っているのではない。
そうしたい人、そういう生活が好きな人はそれで良いのだ。
ただ、目的地を持っている人とは、話も生活も考え方もすれ違うだけだ。
日頃愚痴を垂れ流している人は、そのまま垂れ流していれば良いのだ。
決してそれも間違ってはいない。
類は類を呼ぶ、という言葉があるように、自分の周りには似たような人が集まる。
そういった人達を見て、不快に思わなければそのままで良いのだ。
しかし、少しでも不快感を持つなら、自分の「今」は間違っているということだ。
もしもそうだとしたら、目的地を持つ事だ。
先日、元トライアスロンのオリンピック選手と食事をした。
2児のお母さんになっている。
「現役復帰をしたらどう」けしかけてみた。
人に不可能はない。
あるとしたら、それは自分の持つ固定概念のせいだ。
「一歩踏み出せなくて」と言う。
しかし、それは構えるからだ。
とりあえず走ってみよう。
泳いでみよう、で良いのだ。
そうしている内に、何かに火が付いたら、そこからがスタートだ。

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