10代の時に決めた「今」

名古屋で友人と会い昔話に華が咲いた。
とは言っても理解しあえているのではない。
お互いにブラックボックスを持っている。
理解し合える必要は無い。
お互いに共有したり、引っかかる釣り針のような部位が、その理解し合うという事の必要性の無さを示してくれるからだ。
数十年前、その友人と京大西部講堂で火の出るような演奏をした。
その音は未だに新しいし、それは未だに音楽の世界には無い。
どうしてそんな演奏が出来たのか、それは分からない。
相互のエネルギーや時代のエネルギー、観客の欲求、そういったものが影響して、その場の演奏になったのだから。
当時、色々なレコード会社からオファーがあった。
私はそれらを全て蹴った。
それこそ「私の演奏は、その場でないと味わえない」と感じていたし、本当にそうだと信じていたからだ。
もちろん、レコードを出して有名になりたい、という夢は無いではなかった。
がしかし、いざその段階になると、やはり断ってしまう私がいたのだ。
笑い話で、あの時こうしておけば良かった、そうしていたら今頃お金持ちになっていたかも、とはと大笑いする。
しかし、そうはしないのが私だ。
世間の流れ、時代の流れ、そこに乗って生きてはいるが、流されるのは大嫌いだ。
同じように「あの時は若かったから」という言葉を絶対に使わない。
それは10代の時に決めた。
当時のおっさん達を見ていて「昔は良かった」という言葉に反吐が出るほどの嫌悪感を感じたからだ。

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