言葉よりも声を聞け

胡散臭い言葉がある。
それこそ、色々な詐欺の場合に使われる言葉であり、その言葉の繋がりだ。
それらを聞いて、どの時点で違和感を感じるかだ。
引っかかる人は、その生理的な違和感ではなく、自分自身の判断を優先するからだ。
判断は、自分自身の体験や知識の集積だ。
ということは、自分自身の体験外のことや知識のないことには免疫は無いということになる。
また、想像力や応用力を低いレベルでしか持たない人は、易易と引っかかってしまうのだ。
しかし、これらは「言葉を聞いてしまう」からだ。
実は同時に「声」があるし言葉の調子もある。
声は声帯や骨格が左右すると言われているが、それはあくまでも「音」の事だ。
声は音も含まれるが、その人の自意識や意識を大量に含んでいる。
偉そうにしている声もあれば卑屈な声、媚びている声、傲慢な声、色々ある。
その中に、いうなれば、嘘くさい声というのがある。
それを聞き分けられるか否かが大事なのだ。
どことなくエッジの無い、ボケた声だ。
巷ではソフトな声という言い方をする。
しかし、嘘臭い中にも自信タップリでエッジの利いた風な声もある。
底の浅い自信は、このエッジの利いた風だ。
底の浅い自信というのは、知識などを信じきっていて、その事が自信の根拠になっている場合だ。
本当に仕事の出来る人、所謂人間が出来ている人の声は深い。
そんな選り分けが出来る事が必要だ。
それがし難いのは、言葉を聞いてしまう、意味を聞いてしまうからだ。

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