大阪で講演会
12月12日は大阪で講演会です。
12月師走ということで、講演会どころではない時期なのですが、そこを選んでしまったのだから仕方がありません。
どうも、客足が鈍いのです。
時間を作れる人は、足を運んで下さい。
「武道は一寸」という方、講演だけですので痛くも痒く有りません。
コテコテの大阪弁で笑い納めをして下さい。
ここでは「触れる」という事で話して見ようと思っている。
もちろん、それは実際的なことなので、言葉だけでどれだけ伝わるか分からない。
その昔、言葉ということを考えて見たことがある。
俗にいうテレパシーに興味があった頃だ。
言葉が不必要なそちらが発達しなかったのは、言葉でしか語れないものがあるのだろう、と結論づけた。
また、感じたことを何とか表したい、誰かに伝えたいという欲求が言葉を生み出していったのだろうとも結論を出した。
その意味で、私は例えば「いにしえの…」という言葉を理解は出来ても体感を共有出来ない。「いにしえ」という感覚が身体から退化、あるいは、知覚化されていないからだ。
それは、理解が浅いからかもしれないのだが。
そういった事を考えられるのも言葉のおかげだ。
伊藤一刀斎の残した言葉に惹きつけられた。
だから、そこを徹底的に追求している。
「人は眠っている間に、頭が痒いのに尻をかくものはいない」何とも当たり前のことだが、その当たり前の事から、「身体に備わる機能を十分に働かせる」という奥義を導き出した。
それはどんな状況で気付いたのか、そして、それを実体化するのに、どれほどの時間や、どんな工夫があったのだろう。
そんなことにも興味が湧くと同時に、では私はそこから何を発見するのかに舵をとったのだ。
そこで気付いたのが「触れる」である。
刀と刀、身体と身体、言葉と言葉。
しかし、それは昔日に限らず、現代の我々の日常そのものも「触れる」で出来上がっている。
あの人に触れられたら気持ちが悪い、この人なら気持ちは悪くならない。
そんな気持ちの変化を及ぼすこともある。
その意味で「触れる」という実際は身体に化学変化を起こさせる。
意識の変化である。
それが身体に影響する。
そこを存分に使うのが武道だ。
一刀斎のいう「身体に備わる機能を十分に働かせる」なのである。
と考えられるのも、そして私自身の行動というか生き方に影響を与えてくれたのも言葉である。
是非講演会に足を運んで下さいね。
そして、言葉を浴びて気持ちを元気にして下さい。
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