Balletと武道

まとめるのに一苦労で、今日も色々と話の時間が多かった。
それも、まとめる為の手段では有る。
今回は「武道とBallet」ということでのプロジェクトだから、武道とBalletの関係性を説明しなければならない。
もちろん、それはお手のものだが、ここはオランダでアムステルダムだ。
実体験をしているamyとは9年の付き合いになるから、語らずとも理解しあえている。
しかし、そこがやっかいなのだ。
その9年の蓄積を数分で語る必要があるからだ。
今週は頭からこのことで、頭が一杯だ。
思えば2005年に初めて直接Danceと関わった。
それがForsythCompanyだ。
初めてWilliam・Forsythと会い、色々な話をした。
対談という形をとってもらったこともある(著作『ウイリアム・フォーサイス、武道家日野晃と出会う 白水社』にある)
もちろん、武道のこと、Danceのことだ。
その中でForsythが、「Balletがあるのではないのに、有ると思っている、つまり、形がBalletだとしているのだ」と語った。
「それは武道も同じだ。武道があるのではなく、武道が現れるのだ」
というところでも意気投合した。
私はForsythCompanyで、武道が現れる為の要素として「感じる・関係性・繋がる」を徹底して指導した。
その事が、舞台にとって、Dancerにとって最低必要な要素だと感じたからだ。
素晴らしいDancer達は、それを吸収しそれぞれのものとし、舞台に作品に応用してくれた。Forsythが「日野さんの名前をクレジットに入れよう」と笑って言っていた。
つまり、私は決してDanceを教えたのではない。
要素が重なっているから、そこを教えただけだ。
だから、Dancerの一人が「日野はForsythCompanyの秘密兵器だ」と冗談混じりで言っていた。
今回のプロジェクトが出来たのもAmyが、それらの要素を使って生徒を指導し、もっともっと確かな成果を上げたい、自分自身のスキルとして成長させたいという思いからだ。
Arabesqueを初め、Balletの様々な姿勢を美しく、そして柔らかいものにする為の身体の使い方を今回教えた。
しかし、それらは武道の要素の応用である。
そういった厳密な身体性は、残念ながらDanceにはない。
形式として、あるいは形としての厳密性はあるが、その形になる為に身体をどう操作しなければならないのか、は無いのだ。
つまり、身体を作り上げる為の稽古法が無いということだ。
そして、肝心の芸術としての感性を磨く稽古法も無いのだ。
ひたすら形を作り出すだけだ。
ということは、身体能力の低い人、あるいは、骨格が少し違っている人、感性の鈍い人には、到底無理なのだ。
もちろん、それはそれで選り分けという点では間違っていない。
誰でもBalletDancerになれる必要などないからだ。
しかし、無事BalletDancerになれたとしても、身体の操作を知らないままプロになってしまえば、緊張系で作られた身体や、身体運動では故障や怪我が付きまとってくる。
その事をAmyが危惧し、身体操作として私の理論を取り入れたいとしているのだ。
さて、明日1日。
撮影も入る。
何を撮るか、何をまとめるか。

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