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パリの受講生の中で、身体が大きく日本人には見られない体型の人が数人いる。
稽古では、そういった人達を相手に選ぶ。
ガチで稽古が出来るからだ。
彼らは紳士だから、わざと転げたり飛んだりしてくれる。
それでは稽古にならないので、「それは駄目、稽古にならない」と何時も注意をする。
その身体が大きな彼は、普段は何を稽古しているのか興味があったので、聞いてみた。
沖縄の古流である唐手だという。
日本の武道の歴史や沖縄空手の歴史、流派のことまで、相当詳しく知っていたのには驚いた。
何時も思うが、外国で日本の文化に興味のある人は、日本人よりも日本のことを知っている。
そういった人達に出会うと、自分の不勉強さが嫌になる。
唐手の先生の名前を言われたが、もちろん知らない。
色々あるのだな、と関心した。
どうして私のワークショップを受講したのかを聞くと、レオさんが私の事をブログで度々紹介してくれていて、それを読んだことと、動画を見たことだそうだ。
でも一番の興味は「どうして柔らかいのに出来るのか」だったという。
この「柔らかいのに出来る」という視点こそ固定観念なのだ。
逆に、柔らかくなければ出来ないのだ。
柔らかくならざるを得ないということでもある。
もちろん、何を求めているのかで、柔でなくても良い場合もいくらでもある。
実際に受講してみて、また理論を聞き、相手をしてもらって、全て納得出来るものだったから、新たな興味が湧き、ずっと受講したくなったそうだ。
自分の先生も色々と理論を話してくれるが、実際には全く違うと何時も感じていて、大方がそうなのだろうと思っていたという。
パリからは相当遠方のノルマンディからの受講だ。
この彼のような人は多い。
熱心な人の殆どは、そういった探究心のある人達だ。
こういった人達は、どんな時でも私が相手として指名すると、ガチで来てくれる。
皆に手本を示す時には、相当危険なことなのだが、つまり、失敗する可能性があり、信頼を失うことに繋がるのだ。
私は、そこにこそ自分の考えていることの本当を見ることが出来るので、それを選ぶのだ。
それが私にとっても大変勉強になる。
そんな楽しみも、ここパリには有るから好きなのだ。
柔らかく動く
これは日常であっても、舞台であっても相当難しい。
なぜなら、それは肉体のことではなく、意識のこわばり、あるいは枠、あるいは、考え方が肉体に現れたものだからである。

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