知的障害を持つ人に教えてもらったこと

スポーツやダンス他、身体を使う事で記録を出したり、力を出したり、優雅な動きを見せたりを「やりたい・実現したい・その人のように出来たい」と思う。
それは素晴らしいアスリートを見ることで、思ったり、感動的なダンスを見ることで感じたりする。
その「やりたい」から「やれる」に至る道が謎だらけだ。
結局、出来る人と出来ない人とに分かれ、決して全ての人が出来るにはならない。
結果だけ、現実を結果としてみれば、その通りなのだが、出来ない人の中にも、出来る資質があるのに出来ない人、というのも混じっている筈だ。
昨日も書いたように、自分が取り組まなければ実現することが無いのだから、自分がどう取り組むのかが分かれ道になる。
しかし、そこに的確な教則本があったとする。
では、その教則本にそってやれば出来るようになるのか。
となると、やはりそこでも、出来る人と出来ない人とに分かれてしまう。
それをどんどん細分化していっても、結局、出来る出来ないの2つに分かれる。
出来ない側の人で、どうしても出来たい人はどうすれば良いのか。
一番大事な事は、自分がどう取り組むのかだ。
ということは、過去において自分は何かに取り組んだ時、どうなったのかを思い出す必要がある。
三日坊主で終わったのか、もう少し続けてもサジを投げたのか、もっと他の事に気が移ったのか、色々あるだろうが、それを思い出す必要がある。
それが自分自身そのものなのだから、その自分に何が出来るのかということだ。
もちろん、ここに奇跡もある。
そういった過去は別にして、「これだ!」と心身ともに響いた時、そのことは必ず実現する、というより、実現させてしまう力を人は秘めている。
しかし、その奇跡も起こせない人はどうすれば良いのか。
それを考えると、何時もそこで止まってしまう。
10数年前、知的障害を持つ人達の作業所から頼まれて、手伝っていたことが有る。
その経過の中で、40才を過ぎた女性が「私、字を書きたい」と言ってきた。
私はその女性には失礼だが、驚いてしまった。
同時に喜びが込み上げた。
急遽、お手本となる字をノートに書き、その女性に見せた。
机の前に座り、その女性はジーっとその字を見ていた。
しばらくすると女性は鉛筆を持ち、手本の字の横に横線を引こうとした。
しかし、生まれて初めて取り組むことだから、横線一つ滑らかには引けない。
女性はほんとにゆっくりゆっくり線を引いていった。
恐ろしいくらいの集中力だ。
その集中がまともに伝わってくる。
横線を引き終わるのに何分費やしたか分からないが、とにかく引き終えた。
その線はガタガタだった。
私は女性の観察力を知りたかったので、「今引いたこの線は、こちらの線と同じかな?」と聞いてみた。
女性は交互に見比べ「一寸違うな」と言って、今、最大の集中力を出し書いた線を消しゴムで消し、改めてゆっくりゆっくり線を引き出した。
その素直な、そして女性が「字を書きたい」という挑戦する姿に感動し、涙が溢れてくるのを止めるのに必死だった。
可能性を壊すな、諦めるな、という事を体感した出来事だ。
この女性から、どれほど多くのことを学んだことか。
出来ない多くの人は、彼女ほどの集中力をもって取り組んではない。
当然、出来ない。
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