違いを明確に

「感じる」が、私のワークの中心になることは、ブログで再三再四書いている。
そして、感じると「感じていると思う」は、全く違うものだとも。
もちろん、小学生高学年であれば理解できる事だ。
しかし、それの実際となると、つまり、「身体で理解しているのか」となると怪しい。
それは、巷にある多くのセミナーやワークに「感じて」と言う言葉が多用されているからだ。
多用されているのが間違っているのではない。
そこで「感じる」ということの定義付けが作されないことが、間違いを生み出すのだ。
そういったセミナーやワークを受けてきた人は、こちらの「感じてください」という指示に躊躇すること無く取り組む。
見ていると、「思っているだけ」だと分かる。
こうも歴然と見える「思っているだけ」に対して、それらの先生方は指摘しないのだろうか。
と考えてしまう。
あるいは、その個人の「思い込み」の事を感じるだとしているのだろうか。
そんな事まで考えてしまう。
そこに厳密性が無いということは、それは技術ではなくただのお遊びだ。
「イメージする」という言葉も同様だ。
「思っているだけ」とイメージは全く違う。
イメージは確実に身体に影響を与えるが、思っているだけというのは、全く変化は無い。
ただ、自分が自分の殻の中にその夢を見ているだけだからだ。
ワークショップでも、教室でも「明鏡塾」でも、この辺りの事を突っ込んでいく。
ここを間違っていたら、折角の身体の働きを鈍らせてしまうからだ。

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