体感から知恵へ

「明鏡塾二期生」には、外科の医師も受講する。
「武禅」には臨床心理士も常連として受講している。
ひやかしや興味本位ではない。
自分たちの持っている医学の知識や、現場での体験。それらに潜むギャップを体感しているからだ。
医療の現場とは、それこそリラクゼーションや足裏マッサージから、救急救命センターや生命と真っ向から向き合わなければならない現場まで幅広い。
しかし、そこに歴然と共通している、最も重要な事がある。
それは当人との関係性、そしてご家族との関係性である。
その事に気付いた医師達を始め多くの人が受講してくれる。
それは何故か。
そんなセミナーも掃いて捨てるほどある。
しかし、どうして「明鏡塾」や「武禅」を選んでくれるのか。
それは「本当を体感し、それを自分自身の知恵に変えていく」だからであり、知識を学ぶのではないからだ。
いくら分析しようが、そのことを解析し説明しようが、それらは単なる言葉であり、それは知識として頭に入るだけである。
何時も書く「頭を満足させているだけ」だ。
また少々の体験という知識では、全く意味がない。
つまり、実際に使おうとした時、そこに自分自身の姿勢が「関係性」に向き合っていない、あるいは、患者さんそのものと向き合えないから使えないのだ。
それが生命と真っ向から向き合わなければならない現場である。
もしも、知識という体験でそこはクリア出来るという医師がいるなら、その医師は信用しない方が良い。
「本当を体感し、それを知恵に変えていく」これしか、自分自身をステップアップさせる方法は無い。
そんなことは、自分自身の成長過程を振り返れば分かることだ。
つまり、人の成長過程を見れば良いのだ。
もしくは、誕生間もない赤ちゃんが3才辺りの自意識の形成までの過程を見ていれば一目瞭然である。
体感というのも、自分自身の判断が入る。
体感を記号化してしまうのが現代人だ。
分析好きの現代人だ。
だから、その体感も知識に成り下がり、こころに響くという、生命の持つ、生物の持つ、動物の持つ知恵という得体のしれない宝物にはならないのだ。
当然、応用力というものが育たないのだ。
「生命」を軸にして、医師やその周辺に位置する人達ワークをするのは楽しい。
リアリティがまるで違うからだ。
「明鏡塾二期生」9月5日開講です。
二期生募集中です。

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