考えるな感じろ、何を?
「身体を深める」あるいは「身体運動の質を上げる」どこかで聞いた、あるいは、見たようなコピーである。
また、多くの男性は少しは耳にした「考えるな、感じろ」というフレーズ。
実は、どれもが私もワークショップや教室で使っている言葉だ。
これらの言葉を生み出した人に質問したい。
どうすればそうなるのか?
あるいは、身体を深めたら、本当のところどうなるのか?
身体運動の質が上がっている人は誰なのか?そう質問したい。
少し、運動がスムーズになったら、これらが体現できたということなのか?
「感じろ」とは何を?
このブログで何度も書いているが、2005年に初めてForsytheCompanyに招聘されワークショップを開いた時、これらの言葉を使った。
ダンサー達は全員頷いていた。
しかし、いざ実際にそのワークになると、私がそれに取り組むダンサー達に駄目だしをするから、皆は完全に面食らった。
「駄目?」という事が分からなかったのだ。
つまり、ダンサー達はエリート中のエリート達だから、ダンスに関しては何でも出来るし、それも完璧にこなして来たからだ。
しかし、ここにきて駄目だしをされた。
意味が分からなかったのだ。
「あなたは、全く身体を感じてはいない。感じていると思っているだけだ」という指摘で、時間は止まった。
思っていることと、実際に感じているのは全く違う。
そこを明確に指摘したのだ。
もちろん、指摘は言葉ではなく動いて見せる事で指摘したのだ。
「ああ、全然違う」と、全員が納得した。
その時にダンサーの一人が、「日野の言葉はどこにでもあるし、自分が受けて来たワークショップでも言われていた。
しかし、それはイメージだとか観念だと思っていた。
まさか本当にあるとは知らなかった」と。
その後ForsytheCompanyのダンサーを通して、私の伝えたい「身体」その考え方、深く掘り下げる方法は、瞬く間にヨーロッパのダンサー達に知れ渡り、芸術大学や他のCompanyからもオファーが来るようになったのだ。
もちろん、私の伝えたいことの源泉は、昔日の武道の達人の境地だ。
それを支えるのは、身体に対する限りない挑戦だ。
その糸口になるのが「考えるな、感じろ」である。
それは「明鏡塾」とて同じである。
そうすることが、身体同士の関係性が自然と生まれるからである。