ワークショップは定員制で

今頃フライヤーを作っているのだから、余りにものんびりしすぎやろ。
自分に突っ込みをいれながら作成中。
作っていてふと気がついた。
今回の東京ワークショップの会場は、何時もの広い柔道場やマルチスタジオではなく、2階の狭いアクターズ・スタジオだった事だ。
ということは、定員制限をしなければいけない。
20名でも多いかな、という部屋だからだ。
という訳で、もしかしたらフライヤーが出回る頃には、定員オーバーで受付が終わっているかもしれない。
しかし、今回は連休を外しているので、一般の方の参加は難しいかもしれないとも思う。
ま、何れにしても会場が狭いので、人数が少ない分密度濃くワークが出来るだろう。
もしかしたら「武禅」のようになるかもしれない。
それは、参加してくれている人達の雰囲気による。
ワークショップや教室で、それぞれの人を見ているとアドバイスをしやすい人と、しにくい人がいる。
しにくい人というのは、それこそ「誰も寄るな」オーラを出しているのだ。
つまり、自分が勝手にやっているのだから、邪魔をしないで欲しいと無意識の内に意思表示を出しているのだ。
もちろん、その人はそんなことは思ってはいないだろう。
しかし、そう見えてしまうのだ。
それは、自分のやっていること、自分がやろうとしている思いに熱中しているから、他人からはそう見えるのだ。
また、面白いことに、そういう人は、絶対といっていい程、こちらの指示通りにはしていない。
自分の解釈で自分なりにしかやっていないのだ。
そして、自分勝手な分析を、こちらの指示したことに当てはめる。
にも関わらず、組んだ相手の人に教えていることが多い。
意味が分からない。
余程、自分のことを正しいと思い込んでいるのだろうし、自分の考えは絶対だと思い込んでいるのだろう。
つまり、人間関係に恵まれていないから、そんな幼稚な自意識を引きずっているのだ。
幼児期、少年少女期にどれだけ他人から潰されたか、突っ込まれたか、が無いからだ。
その意味で、現代の若い人たちは可愛そうだ。
自分自身と対面することもなく、年齢を重ねてしまうからだ。
一寸何かあると「いじめ」とレッテルが貼られたり、何がしかの病名を付けられたりすることで、過度に守られているからだ。
ワークショップには自分も初めて参加しているのに、どうして組んだ人に教えられるのか。
こういう人は、人の話を聞けない人だ。
もちろん、本人は聞いている、と言うだろうが、そこを突っ込んでいくと、全て自分に都合よく聞いている、というところにたどり着く。
これは、外国であろうが、日本の地方であろうが、必ず一人や二人はいるから面白い。
それこそ、どんな遺伝子を受け継いでいるのか興味深い。
ワークショップや教室では、そういう人を見破り、組まないことだ。
それも人生や社会での稽古になるのだ。

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